[ナビゲーションはここまで]
現在の位置: 文化財課 の とっとり文化財ナビ の 永田家文書

永田家文書


 ( ながたけもんじょ:nagatake monjo )

椎木七郎右衛門等田地売券(1551)の写真
藤森兵衛等屋敷売券(1589)の写真
中蔵又左衛門等屋敷売券(1592)の写真
椎木七郎右衛門等田地売券(1551)の写真




 永田家は、伯耆国八橋郡向原村(現在の東伯郡琴浦町八幡向原)に、少なくとも天正17年(1589)以前より住した長田氏一族の一流である。この永田家が残した文書は、天文20年(1551)から幕末にかけての全206点におよび、そのうち慶長5年(1600)以前の年記を持つ20点を指定する。
 永田家文書は、田畑・屋敷の売買証文が大半を占める。文書を伝えた長田氏同族の人物が売主となるものも多いが、その他にも向原村周辺の有力者と思われる、椎木・中蔵・河上・藤森・小畑・野間・大熊・種子・前原などの名字を名乗る人々も、売主・買主・口入人などとして登場する。また、売り買いされた土地は向原村内に限られ、面積は1〜3反程度が大半で、全体的に安価である。売買の形態は全て永代売りで、1点を除き米により支払われる。
 限られた地域内で、在地勢力の人々の中で頻繁に小規模な土地のやり取りが繰り返され、さらにその際には良質で大きな料紙を用いた書面が交わされることは大変珍しい。
 本文書は、中世末期の伯耆国八橋郡向原村周辺の在地勢力の実像や、共同体的な秩序の実相をうかがわせるものであり、中近世移行期における在地社会の実態を示す得がたい史料と評価できる。
 なお、県保護文化財の山陰歴史館所蔵長田文書(米子市)2通は、その内容等から、当初永田家文書に含まれていた可能性がきわめて高いと考えられる。

文化財の種別 有形文化財
区分 指定
指定種別 県指定保護文化財
分類 県指定の古文書
所在地 鳥取市東町2丁目124 鳥取県立博物館
指定年月日

令和3年11月19日

所有者等

個人、鳥取県

参考文献

『新鳥取県史 資料編 古代中世1古文書編上』鳥取県、2015年

参考リンク
問合せ先

備考

1.天文20年(1551)3月14日 椎木七郎右衛門等田地売券 26.0×36.0p
2.天正17年(1589)12月27日 藤森藤兵衛等屋敷売券   26.5×65.0p
3.天正20年(1592)12月26日 中蔵又左衛門等屋敷売券 29.0×46.0p
4.天正21年(1593)3月11日 橋本平左衛門等田地売券 22.0×32.0p
5.文禄4年(1595)12月14日 大熊宗四郎等田地売券   19.0×55.5p
6.文禄4年(1595)12月26日 難木新二郎等田畠売券   30.0×41.0p
7.文禄5年(1596)2月15日 源六等畠売券  20.0×62.0p
8.文禄5年(1596)12月18日 椎木新次郎等田地売券   19.0×64.0p
9.文禄5年(1596)12月18日 椎木彦太郎等田地売券   19.5×64.0p
10.文禄5年(1596)12月24日 椎木弥九郎屋敷売券    19.5×62.5p
11.慶長2年(1597)2月11日 椎木与三左衛門等田地売券 19.0×60.5p
12.慶長2年(1597)4月4日 又四郎・いぬほう丸田地売券 24.5×34.0p
13.慶長3年(1598)2月3日 椎木二郎兵衛等田地売券  19.5×61.0p
14.慶長3年(1598)6月25日 小畑与三左衛門等田地売券 27.5×41.0p
15.慶長3年(1598)7月5日 大熊宗四郎等畠売券      19.0×60.0p
16.慶長4年(1599)3月11日 長田又左衛門等田地売券 19.0×62.0p
17.慶長4年(1599)3月12日 小畑与三左衛門等田地売券 19.0×62.0p
18.慶長5年(1600)3月15日 河上太郎左衛門等畠売券 18.5×63.5p
19.慶長5年(1600)3月20日 下市ば村ノ左衛門五郎等田地売券 19.0×63.0p
20.慶長5年(1600)4月15日 難木二郎右衛門等田地売券 19.3×60.0p


アクセス方法

100円バス「くる梨」緑コース「11仁風閣・県立博物館」下車すぐ
ループ麒麟獅子「3鳥取城跡」下車すぐ
砂丘・湖山・賀露方面行「西町」下車約400m
市内回り岩倉・中河原方向行「わらべ館前」下車約600m

周辺地図 Google Mapで開く
公開状況