[ナビゲーションはここまで]
現在の位置: 文化財課 の とっとり文化財ナビ の 神像 附神像3躯

神像 附神像3躯


 ( しんぞう つけたりしんぞうさんく:shinzo tsuketari shinzosanku )

神像 附神像3躯 〔その1〕女神坐像 〔その2〕僧形神像坐像 〔その3〕女神坐像の写真
神像 附神像3躯 〔その4〕女神坐像(右) 〔その5〕女神坐像(左)の写真
神像 附神像3躯 〔その6〕僧形神坐像(左) 〔その5〕女神坐像(右)の写真
神像 附神像3躯 左より〔その8〕男神坐像 〔その9〕男神坐像 〔その10男神坐像〕 〔その11〕女神坐像の写真
神像 附神像3躯 〔附1〕男神像(左) 〔附2〕男神立像 〔附3〕女神坐像の写真
神像 附神像3躯 〔その1〕女神坐像 〔その2〕僧形神像坐像 〔その3〕女神坐像の写真




 日野川右岸に位置し大山を見晴らす八幡神社は、養老4年(720)創建と伝えられる古社である。中世には「相見庄八幡宮」等と称され、近世には西伯耆一帯の幣頭に任じられた。

 神社には、平安時代後期から江戸時代に至る神像、仏像やその残欠、狛犬などの木彫品が伝わる。そのうち、明らかに神の像として制作されたと分類できる11躯と附3躯は、県内に稀少な神像群である。すべて一木造りで、附の三躯を除き彩色の痕がある。
 
 なかでも注目されるのは、〔その1〕女神坐像(像高51.9p、10世紀末〜11世紀初頭頃)、〔その2〕僧形神坐像(像高60.0p、11世紀初頭頃)、〔その3〕女神坐像(像高50.4p、11世紀初頭頃)である。3躯はいずれもムクノキ材製と思われ、様式的に近い時代に制作されたと判断できる。僧形神と二女神の組み合わせは、しばしば八幡三神像ととらえられることから、いずれかの時期に三躯を一具として祀ったことも考えられる。しかし、〔その2〕と〔その3〕の男女神像は像底の木目の様子に連続性があり、同材から木取りされたとみられる一方で、〔その1〕像の太造りで彫りが深い点、薄塗の彩色、手首先を丸雇枘とする構造などはやや異質で、〔その2〕、〔その3〕の両像よりわずかに制作年代が遡ると思われる。

 その他の像の法量と制作年代は備考の通りである。

 八幡神社は明治時代に周辺の数社を統合しており、これらの神像の伝来を明確にすることは容易ではない。それでも、同一地域の神像がこれほどまとまって伝存したことにはきわめて高い学術性が認められる。

文化財の種別 有形文化財
区分 指定
指定種別 県指定保護文化財
分類 県指定の彫刻
所在地 米子市東八幡276 八幡神社
指定年月日

令和3年11月19日

所有者等

八幡神社

参考文献

長谷洋一編『米子八幡神社の神像』八幡神社、2016年

参考リンク
問合せ先

備考

 〔その4〕女神坐像、像高32.2p、11世紀頃、〔その5〕女神坐像、像高34.0p、11世紀頃、〔その6〕僧形神坐像、像高34.6p、11世紀後半〜12世紀頃、〔その7〕女神坐像、像高30.1p、11世紀後半〜12世紀頃、〔その8〕男神坐像、像高26.5p、11世紀後半頃、〔その9〕男神坐像、像高29.5p、11世紀後半〜12世紀頃、〔その10〕男神坐像、像高32.5p、11世紀後半〜12世紀頃、〔その11〕女神坐像、像高19.6p、12世紀末〜13世紀前半頃。〔附1〕男神坐像、像高20.0p、11世紀後半〜12世紀頃、〔附2〕男神坐像、像高54.9p、16世紀〜19世紀頃、〔附3〕女神坐像、像高47.0p、16世紀〜19世紀頃。
 〔その4〕と〔その5〕の二女神像は作風が共通し、男神像を失った八幡三神像として制作された可能性が指摘できる。〔その6〕と〔その7〕の僧形像と女神像も、やはり表現が似かようことから、当初は八幡三神を表していたことが推測される。


アクセス方法

日本交通米子駅前バス停から水浜線(遠藤行)に乗車し35分、東八幡バス停で降車すぐ

周辺地図 Google Mapで開く
公開状況