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名和神社文書


 ( なわじんじゃもんじょ:nawajinjamonjo )

建武2年(1335)5月28日 後醍)醐天皇綸旨の写真
興国元年(1340)6月21日 後村上天皇綸旨の写真
正平9年(1354)6月18日 口宣案の写真
の写真
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建武2年(1335)5月28日 後醍)醐天皇綸旨の写真




後醍醐天皇を奉じ、建武の新政に活躍した名和長年らを祀る名和神社に伝えられる7通の中世文書である。
名和氏は、14世紀半ば、長年の孫顕興の代に九州に移住して在地領主となり、近世には柳川藩に仕えた。明治11年(1878)、名和神社が別格官幣社となると名和長恭が宮司として名和の地に招かれた。
7通のうち、3通は14世紀、4通は16世紀後半の文書で、明治期に九州柳川からもらたされたと見られる。
伯耆国を本貫とし、建武の申請に活躍した名和一族の事蹟に直接関わる良質な中世文書である。
概要は以下のとおり。

1、後醍醐天皇綸旨(建武2年5月28日):1335年、後醍醐天皇が「伯耆大夫判官」(名和義高)に対して発給した綸旨。肥後国八代地頭分のうち鞍楠村(熊本県八代市)を熊野那智山へ寄進することを許可したもの。

2、後村上天皇綸旨(興国元年6月21日):1340年、後村上天皇が「村上兵庫」(名和顕長か)に発した綸旨。出雲国利弘保(島根県安来市)の地頭職を与える内容。

3、口宣案(正平9年6月18日):1354年、「修理亮源義氏」(長年の甥)を安芸権守に任じる旨の後村上天皇の指示を伝えた口宣案。

4、口宣案(天文22年5月21日):1553年、「宇土伯耆守行興」を修理大夫に任じる後奈良天皇の指示を伝えた口宣案。

5、口宣案(弘治2年4月14日):1556年、「正五位下源行興」を従四位下に叙する旨の後奈良天皇の指示を伝えた口宣案。

6、豊臣秀吉朱印状(天正16年8月12日):1588年、豊臣秀吉が、投降した宇土城主「伯耆左兵衛尉」(名和顕孝)に発した朱印状。筑前国に500町を宛行い、小早川隆景に随従することを命じる。

7、小早川隆景感状(文禄3年6月7日)、1593年、小早川隆景が「伯耆左兵衛」(名和顕孝)にあてた感状。文禄の役における碧蹄館の戦での戦功を賞した賞状。感状としてはとりわけ鄭重な様式と筆跡で書かれる。

文化財の種別 有形文化財
区分 指定
指定種別 県指定保護文化財
分類 県指定の古文書
所在地 鳥取市鳥取県立博物館(寄託)
指定年月日

令和6年1月19日

所有者等

参考文献

『新鳥取県史 資料編 古代中世1古文書編上』鳥取県、2015年

参考リンク 大山町の文化財紹介ページ
問合せ先

備考

1.建武2年(1335)5月28日 後醍)醐天皇綸旨(宿紙)33.0×45.5p
2.興国元年(1340)6月21日 後村上天皇綸旨(宿紙)32.0×51.0p
3.正平9年(1354)6月18日 口宣案(宿紙)30.5×41.0p
4.天文22年(1553)5月21日 口宣案(宿紙)32.0×46.5p
5.弘治2年(1556)4月14日 口宣案(宿紙)31.0×41.5p
6.天正16年(1588)8月12日 豊臣秀吉朱印状(折紙)46.5×65.5p
7.(文禄2年〈1593〉)6月7日 小早川隆景感状32.0×49.0p


アクセス方法

100円バス「くる梨」緑コース「11仁風閣・県立博物館」下車すぐ
ループ麒麟獅子「3鳥取城跡」下車すぐ
砂丘・湖山・賀露方面行「西町」下車約400m
市内回り岩倉・中河原方向行「わらべ館前」下車約600m

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