三十六歌仙図額
( さんじゅうろくかせんずがく:sanzyurokukasenzugaku )
三十六歌仙図額は、横長のヒノキ板に三十六歌仙を描いた板絵著色(の板図である。倉吉市の小鴨神社が所有し、一面に6人の歌仙の列像を表したものが4面伝来する。墨書から、室町時代の天文6年(1537)に宇野村直という人物が播州山崎八幡宮(現兵庫県宍粟市)へ奉納したことが判明する。小鴨神社へは江戸時代初期に移された。
そもそも三十六歌仙図は、平安中期の藤原公任撰『三十六人撰』に基づいて36人の歌人を描いた絵画作品を指し、大和絵の重要な画題として古来、数多く制作された。しかし近世以降の作例がほとんどであり、室町期にさかのぼる作例は10点ほどであり、全国的に大変稀少である。
小鴨神社の三十六歌仙図は、上畳(あげたたみ)に坐した歌仙を各面6人ずつ、歌合形式を模して右方と左方に分け、和歌と歌人名を記した色紙形(しきしがた)を添えて描き表す。当初は、社殿の左右に板絵をかけ、右方3面、左方3面の合計6面から構成されていたはずだが、現存するのは、裏面に墨書のある左一番、左三番、右三番の3面と、歌人の並び順から右一番と推定される1面の計4面である。左右各二番の2面分が失われている。
画面は絵具の剥落が激しく、図様が観察しづらいものの、人物のプロポーションは均整がとれ、装束の文様や持物(じもつ)等も破綻なくまとめあげており、一定の画力を持った畿内の絵師により制作されたと解せる。
中世の三十六歌仙図は、列像形式から歌仙一人一人を1枚の画面に描く単独形式に変遷し、また上畳を描くことが定着して近世に引き継がれる。この流れをふまえれば、小鴨神社の三十六歌仙図は列像形式と上畳という、新旧の特徴を兼ね備えた過渡期的な三十六歌仙図として我が国の美術史上意義深い。
左三番の裏面には寛永9年(1632)8月14日に小鴨神社に移された旨、さらにこの時点ですでに「四枚二欠」(2面が失われていた)であったことを記す墨書がある。播州からの移動の経緯は不明ながら、同年に行われた鳥取藩の国替に関連するとの指摘がある。
本作は、少なくとも約400年にわたり本県に伝世している稀少な中世絵画であり、図様に加え、制作年等を示す墨書も含め非常に高い資料性を有すると評価できる。
| 文化財の種別 |
有形文化財
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| 区分 |
指定
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| 指定種別 |
県指定保護文化財
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| 分類 |
県指定の絵画
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| 所在地 |
倉吉市大宮 |
| 指定年月日 |
令和7年4月30日 |
| 所有者等 |
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| 参考文献 |
小山勝之進「小鴨神社 三十六歌仙図扁額について」(『郷土と博物館』68、鳥取県立博物館、1989年 |
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