上田家文書
( うえたけ もんじょ:ueta ke monjo )
上田家文書は、江戸時代に八上郡大庄屋や八上郡袋河原村(鳥取市河原町)庄屋などを務めた上田家の所蔵にかかる文書群で、中世文書3点がある。
このうち2点は中世後期に出雲国飯石郡赤穴荘(島根県飯南町)の瀬戸山城(赤穴城・衣掛城)を本拠とする国人領主であった赤穴氏が受給したものである。赤穴氏は、三善姓の石見国佐波氏の支流であり、京極氏・尼子氏に従った後、毛利氏に属した。家伝によれば、上田家は、因幡国の真宗寺・教蓮寺・心了寺という浄土真宗3ヶ寺に深い関わりを持つ家で、これら寺院はいずれも赤穴氏一族が建立等に関わっている。こうした関係から上田家に来歴した文書であると推測される。
また羽柴秀吉掟書は、天正9年(1581)11月4日に、鳥取城を攻略した織田方の部将羽柴秀吉が、新たな城主として配置した宮部継潤に対して、因幡国支配体制の構築を命じた掟書である。凄惨な兵粮攻めにより、毛利方の鳥取城主吉川経家が自刃した10月25日からわずか8日後にあたり、以後20年近くに及ぶ宮部氏による因幡国支配の起点を示すものとして、注目に値する。
赤穴氏関係の2通は、因幡国における浄土真宗寺院の来歴とも関連して近世以前から県内において伝えられてきた良質な中世文書であり、また天正9年の羽柴秀吉掟書は、豊臣政権下の因幡国支配体制の方針を示す貴重な史料である。したがって、いずれも本県の歴史上において重要と認められる。
よって、上田家文書は鳥取県指定文化財に指定し保護するに相応しい価値を有するものと判断される。
文化財の種別 |
有形文化財
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区分 |
指定
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指定種別 |
県指定保護文化財
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分類 |
県指定の古文書
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所在地 |
鳥取市鳥取市西町、鳥取市上町88 鳥取市歴史博物館 |
指定年月日 |
平成29年10月10日 |
所有者等 |
個人蔵 |
参考文献 |
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参考リンク |
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問合せ先 |
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備考 |
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