木造十一面観音立像
( もくぞうじゅういちめんかんのんりゅうぞう:mokuzouzyuuitimenkannonryuuzou )
江戸時代中後期の造像遊行聖として知られる木喰上人(1718〜1810)が文化四年(1807)に制作した観音像である。
光背から台座にいたる全てを檜の一木で刻んだもので、両手で腹前に水瓶を持ち、柔和な微笑をたたえて荷葉座に立つ。頭部には、三段にわたって、化仏1、頭上面4、頭上面5が彫出される。総高(光背―台座)76.6p。
また、光背裏面には光明真言(梵字)、本体と台座の背面には墨書がある。これにより、文化四年二月、木喰数え年で90歳の作と判明する。
木喰は寛政十年(1798)の夏から秋にかけ、伯耆・因幡を遊行し(一度は若狭まで巡錫し引き返している)、各地で神仏像をものした。発見された7躯は、現湯梨浜町及び倉吉市内に点在し、県保護文化財に指定されている。
一方で、本像は、木喰が記した『南無阿弥陀仏国々御宿帳』によれば、木喰が丹波清源寺(現京都府南丹市)に滞在していた時期の作ということになる。木喰は同寺において一千体の像を造る誓願を果たしたとされ、残る二十二躯の像は円熟期の傑作であるとし、木喰を見出した思想家で民藝運動の指導者柳宗悦らにより高く評価されている。
清源寺の一躯であった本像が、この延命庵に伝来する由緒は詳らかでないが、木喰最晩年の作として大変貴重な文化財といえる。
| 文化財の種別 |
有形文化財
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| 区分 |
指定
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| 指定種別 |
県指定保護文化財
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| 分類 |
県指定の彫刻
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| 所在地 |
鳥取市気高町飯里 |
| 指定年月日 |
昭和58年9月27日 |
| 所有者等 |
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| 参考文献 |
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| 参考リンク |
鳥取市の文化財紹介ページ
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| 問合せ先 |
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| 備考 |
【本体裏面墨書】
日本千タイ□□
天下和順
中山十一面観世音大士
日月清明
文化四年二月
※□は判読不能
【台座裏面墨書】
神通光明
明満仙人
九十才(花押)
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