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大山寺旧境内


 ( だいせんじ きゅうけいだい:daisen-ji kyukeidai )

大山寺旧境内の写真
大山寺旧境内 西楽院跡の写真
大山寺旧境内 阿弥陀堂参道の写真
大山寺旧境内の写真




大山寺は山号を角盤山(かくばんさん)といい、中国地方の最高峰大山の中腹に所在する天台宗の山林寺院である。
大山は「出雲国風土記」にも記されており、古くから信仰の対象とされた山である。「選集抄」(1250年頃成立)は、8世紀後半の称徳天皇の頃、出雲国造俊方が地蔵菩薩を大智明権現(だいちみょうごんげん)として祀ったと伝える。平安時代後期には、天台密教、浄土信仰、神道及び修験道の影響のもと、大智明権現を信仰の核に、釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来の信仰をそれぞれ中心とする、南光院(なんこういん)、西明院(さいみょういん)、中門院(ちゅうもんいん)の三院が成立する。それらの附属の堂社僧坊群が形成されていき、史料や発掘調査成果からは、中世に最大規模となったことが判明している。
近世には、幕府から寺領三千石を安堵され、西楽院(さいらくいん)を本坊として、三院とその僧坊を支配する一山三院四十二坊の体制が確立した。そして、牛馬の守護神や祖霊神の信仰と結びついて発展し、近世後期には大山信仰圏は中・四国地方に拡大して隆盛を誇った。
明治維新で寺領を失った大山寺は、明治8年(1875)に寺号廃絶のうえ大智明権現社が大神山神社奥宮に定められた。寺号復活が認められたのは明治36年(1903)のことである。
旧境内には、国指定重要文化財の大山寺阿弥陀堂、大神山神社奥宮、末社下山神社などの近世以前の建物が残り、廃絶した子院(僧坊)跡にも、石垣、土塁、参道なども良好に残っており、日本を代表する山林寺院の一つと言える。

文化財の種別 記念物
区分 指定
指定種別 史跡
分類 国指定の社寺跡
所在地 西伯郡大山町大山
指定年月日

平成28年10月3日

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