都合山たたら跡
( つごうやま たたらあと:tsugoyama tatara ato )
古来より製鉄が盛んな奥日野地方に所在する都合山たたら跡は、日野郡の大鉄山師近藤家が明治22年(1889)から明治32年(1899)まで営んだ代表的なたたら跡である。明治31年(1898)に行われた東京帝国大学の俵国一(たわらくにいち)による現地調査により、創業当時の具体的な状況が記録されている。
平成20年に実施された発掘調査及び文献調査によって、近藤家文書に記された大鍛冶場(おおかじば)2棟を検出する等、俵の記録にはない知見が明らかになるとともに、高殿(たかどの)・砂鉄洗場(さてつあらいば)・鉄池(かないけ)・銅小屋・大鍛冶場が効率邸に配置されていること、10年程度で移転する操業体制であったこと等が確認された。これらにより、都合山たたら跡は明治中期以降に機械動力が導入される以前の伝統的な「たたら吹き製鉄法」本来の姿を留めていることが証明された。
このように都合山たたら跡は、近世・近代のたたら製鉄の実態を良好な状態で保存していることに加え、記録と遺構の両面により復元検討が可能なことから、学術的にも非常に貴重なたたら遺跡と評価することができる。
文化財の種別 |
記念物
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区分 |
指定
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指定種別 |
県指定史跡
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分類 |
県指定の生産施設
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所在地 |
日野郡日野町中菅字都合谷原 |
指定年月日 |
令和元年10月23日 |
所有者等 |
日野町 |
参考文献 |
俵國一 1933 『古来の砂鉄製錬法 -たたら吹製鉄法-』丸善(復刻解説版 慶友社2007)
鳥取県埋蔵文化財センター編 1984 『鳥取県生産遺跡分布調査報告書』鳥取県教育委員会
都合山鈩跡研究会編 2010 『都合山鈩の研究』鳥取県文化財保存協会 |
参考リンク |
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問合せ先 |
日野町教育委員会 |
備考 |
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