[ナビゲーションはここまで]
現在の位置: 文化財課 の とっとり文化財ナビ の 門脇氏庭園

門脇氏庭園


 ( かどわきし ていえん:kadowakishi teien )

奥庭の写真
中島に向かう石橋の写真
茶庭の写真
奥庭の写真




 門脇氏は、平忠盛の三男の平教盛(門脇殿)に由来し、織田信長に仕えて備中高松城攻めに従軍、その子金三郎秀康が伯耆国汗入郡に住むようになったといわれる。現在の門脇家において初代とされる三右衛門(1655-1695)と、2代嘉七(1687-1727)の時に、田畑の集積や紅花・木綿等の商売や金貸によって経済力を得た。大庄屋となったのは宝暦7年(1757)、3代本右衛門の時で、苗字帯刀を許され門脇本右衛門秀盛を名乗り、役宅を兼ねて現在の居宅の建築をおこなった。
 歴代当主は文化的な趣味を持っており、特に4代元右衛門秀紀(1746-1806)は俳人で翠月と号した。また5代元右衛門秀安(1806-1842)は茶人で宗観と号し、細川家家臣の荒井一掌から三齋流の茶道を学び、茶室を建てて静寿庵と名付けた。
 門脇氏庭園は、「前庭」「茶庭」「奥庭」からなり、当家が所蔵する嘉永3年の家相図から、幕末頃の配置が現在まで継承されており、とりわけ「奥庭」の池の形状・意匠が良好に遺存している点で、鳥取県西部屈指の豪農・大庄屋の近世庭園の一つとして学術的価値が高い。
 さらに三列九間取りの大規模民家において、二間続きの座敷に面する庭園として、格の高いかぎの間に向けて景色が整えられていることは、書院造庭園の地方への波及を考察する上で、示唆に富むものである。
 また、茶人である5代元右衛門秀安の営為が偲ばれる茶庭は、江戸時代後期の鳥取県西部における茶文化の在り様を示す点で貴重であるとともに、要素を押さえつつ情緒ある空間に仕上げられている点でも芸術的価値が高い。
 加えて、本庭園は、主屋、茶室、湯殿・雪隠をはじめとする庭園に面した建物が、良好に保存されており、その空間としての一体性も高く評価できる。

文化財の種別 記念物
区分 指定
指定種別 県指定名勝
分類 県指定の庭園
所在地 西伯郡大山町所子
指定年月日

令和4年4月26日

所有者等

参考文献

(財)文化財建造物保存技術協会『重要文化財門脇家住宅主屋他3棟保存修理工事報告書』門脇卓爾、2003年
大山町教育委員会「重要文化財 門脇家住宅」(リーフレット)
鳥取県大山町教育委員会『大山町所子 伝統的建造物群保存対策調査報告書』2010年

参考リンク
問合せ先

備考


アクセス方法

周辺地図
公開状況