若桜町若桜伝統的建造物群保存地区
( わかさちょうわかさでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく:wakasachowakasa dentoutekikenzoubutugun hozontiku )
若桜町若桜伝統的建造物群保存地区は、若桜鬼ヶ城の城下町を起源とし、旧若桜街道沿いの宿場町としての機能を持ちつつ近郷の物資の集積地として栄えた町である。
明治18年の大火により町の大部分が焼失したが、住民自治組織により復興計画が立てられた。これにより、本通りの直線化や通りにそった用水や庇の設置、敷地背面に土蔵を建てるなど防火を考慮した街並みの基礎がきずかれた。
保存地区は本通り沿いの約9.5ヘクタールの範囲で、明治期から昭和中期までに建てられた商家は、主に2階建ての切妻平入り、瓦もしくは鉄板葺きとされ、正面に設けた庇は「カリヤ」と呼ばれ、雪や雨の日でも快適に通行できるアーケードの役割を果たした。また、八東川から取水した通り沿いの用水は「カワ」と呼ばれ、そこから各家に水を取り込む「イトバ」や貯水槽である「ホリ」も設けられた。
雪深い気候や防火を意識し、自然の恵をうまく取り入れて形成された街並みは歴史的風致をよく維持し、山陰地方山間部の代表的な商家町といえる。
文化財の種別 |
伝統的建造物群
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区分 |
選定
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指定種別 |
重要伝統的建造物群保存地区
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分類 |
国選定の建造物群
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所在地 |
八頭郡若桜町新町、字上町、字中町、字浦町、字下町、字蓮教寺下モ、 字農人町上分、字農人町下分、字猿岩ノ下タ、字隈田及び字坂川の各一部 |
指定年月日 |
令和3年8月2日 |
所有者等 |
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参考文献 |
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参考リンク |
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問合せ先 |
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備考 |
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