依山楼岩崎庭園
( いざんろういわさき ていえん:izanrouiwasaki teien )
三朝温泉の温泉旅館街は、三徳山の北麓を西流する三徳川の中流域に位置し、両岸に沿って旅館が立ち並ぶ町並みを形成している。
依山楼岩崎は三徳川の右岸、旅館街の中心に渡される三朝橋から東に100mほどの、山裾の斜面に営まれている。現在「依水苑」と呼ばれている庭園は、宿泊棟の北側、山裾および大浴場棟に囲まれた空間に展開する。東西に長い庭園の上段中央には、昭和11年頃に皇族用の離れとして建てられた木造平屋建ての「三朝閣」が、上段東部には、昭和前期に建てられた茅葺の茶室「扶桑庵」がある。
庭園は、西半部の開放的な池庭と、東半部の山懐に抱かれた露地という対照的な2つの庭園空間からなる。
「池庭」は三朝閣より西方に展開する。三朝閣のほど近くに端を発する細い流れが渓流となって、上段から下段へ2段の滝で水を落とし、西南部の山裾に広がる池に注ぐ。池中や護岸の巨石が、山から転落してきた石を庭園に取り込んだような、作為を感じさせない豪快な配置で目を引く。南から本庭園をみると、池の背後の渓流東脇に設けられた石段、その奥にそびえる石塔、そして山上の三朝閣へと自ずと視線が導かれる構成となっている。
「露地」は、庭園の東部、隣接する三朝閣のある地盤からやや下った狭隘な敷地に作られている。中央に茅葺屋根の茶室・扶桑庵を配し、その周辺に飛石を打って、蹲踞を2か所に配置する。東方から南方にかけては大浴場棟の建設に際して追加された緩やかな流れが巡り、宿泊棟の前を通って池庭の池に注ぐ。大浴場棟建設以前は茶室の北方に待合があり、その周辺にも流れが巡り、茶室の西に小池が設けられていた。現在は、三朝閣との間に宿泊棟から延びる渡り廊下により空間が分かれているが、かつては三朝閣と扶桑庵とが茶事において一体的に利用されていたものと考えられる。
本庭園は、限られた敷地の中に、池庭と露地という趣きの異なる2つの庭園空間を、その立地環境および地形の高低差を活かして巧みに配置した点で、地割構成上優れている。 また、庭園景観の中心となる三朝閣や扶桑庵は、文人墨客に愛された三朝温泉の名声にふさわしい風格を有する優れた近代和風建築であり、これらと一体的に造られ利用されてきた本庭園は、三朝温泉を語る上で欠かせない庭園といえる。それとともに、旅館という時代の変化に晒されやすい業態でありながら、このように庭園と建造物とが一体的に維持管理、継承されてきたたことは非常に貴重なことと言えよう。
さらに、本庭園は近代の鳥取中部で活躍した巽武之助による作庭のひとつであり、周辺の作例と併せて鳥取県の庭園文化の在り方の一端を明らかにしていく上でも重要である。
文化財の種別 |
記念物
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区分 |
指定
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指定種別 |
県指定名勝
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分類 |
県指定の庭園
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所在地 |
東伯郡三朝町三朝 |
指定年月日 |
令和5年6月13日 |
所有者等 |
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参考文献 |
『三朝町誌』1965、三朝町役場
『三朝温泉誌』1983、鳥取県三朝町
文化財庭園保存技術者協議会「「令和4年度実技技能研修」研修資料 依山楼岩崎庭園」2022.10 |
参考リンク |
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問合せ先 |
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備考 |
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