大御堂廃寺跡 おおみどうはいじあと

所在地 倉吉市駄経寺町
主な時代 飛鳥時代から平安時代中頃(約1300〜1000年前)
概 要  天神川と小鴨川に挟まれた平野にある、山陰で最も古い段階の寺跡で、塔の西側に本尊を納めた金堂(こんどう)が入り口を塔側に向けてつくられていました。このような建物配置の寺院は造営に国が関わっていたとされています。
寺の敷地内には金属製品を造る炉やわき水を利用するため上水道施設なども見つかっています。
出土した土器に墨で書かれていた文字から寺の名前は「久米寺」だったと考えられます。
発掘調査では建物の瓦や仏像の他に、水辺のまじないに使われた木の道具や、全国的に珍しい佐波理(さはり:銅、錫、鉛の合金)でできた匙(さじ)なども出土しています。
報告書 『大御堂廃寺跡発掘調査報告書』倉吉市教育委員会 2001
備 考 「とっとり文化財ナビ」に情報あり

溜枡とそこから延びる木樋(倉吉博物館提供)

鬼瓦(倉吉博物館提供)

銅製の獣の頭部(倉吉博物館提供)

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