| 所在地 | 鳥取市福部町湯山 |
|---|---|
| 主な時代 | 縄文時代中頃から鎌倉時代(6000?800年前) |
| 概 要 | 鳥取砂丘の東南端にある遺跡で、遺跡の南側は縄文時代には海が入り込み、その後も明治時代ごろまで「湯山池」として残っていました。ここにくらした人々はこの内海で魚を取り、内海の東側にある栗谷遺跡へ舟で行き来していたのでしょう。 遺跡は、室町時代以降に積もった砂丘の砂の下にあって、縄文時代以降の遺物が出土しました。縄文時代の建物跡などは見つかっていないことから、遺跡の北側の砂丘の下に当時の人たちがくらした集落があったと考えられます。 発掘調査では、古墳時代の建物跡が見つかり、当時の集落があったことが分かっています。 |
| 報告書 | 『直浪遺跡発掘調査報告書(予報)』福部村教育委員会1956 『直浪遺跡発掘調査報告書』福部村教育委員会1976 『遺跡保存方法の検討-砂地遺跡-』文化庁1986 『福部村内遺跡発掘調査報告書』福部村教育委員会1995 『村内遺跡発掘調査報告書(直浪遺跡)』福部村教育委員会2001 『直浪遺跡の研究』鳥取大学地域学部2018 |
| 備 考 |

砂に覆われた遺跡のようす(鳥取市教育委員会提供)