会下・郡家遺跡 えげ・こおげいせき

所在地 鳥取市気高町会下、郡家
主な時代 弥生時代中頃から室町時代(2100~400年前)
概 要 気高町の西側にある河岸段丘(かがんだんきゅう)を中心に広がる遺跡です。
弥生時代中頃から終わり頃には竪穴建物(たてあなたてもの)や長さが12mほどある大きな掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)が造られました。掘立柱建物は独立棟持柱建物(どくりつむなもちばしらたてもの)と呼ばれる、屋根を支える柱が建物外側にある特殊なもので、集落でくらす人たちが共同で利用したと考えられます。
奈良時代から平安時代にかけては掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)が多く造られ、平安時代には長さが16m以上ある大きな建物が同じところで繰り返し建てられたことが分かりました。これらの建物はコメなどを一時的に収める倉庫として使われたと思われます。
大型の建物は役所で見つかる建物のように柱穴も大きく、国衙(こくが:現在の県庁にあたる役所)が地域を治めるための施設の一部だったかもしれません。
報告書 『会下・郡家遺跡』気高町教育委員会1982
『逢坂地域遺跡群発掘調査報告書 会下・郡家遺跡』気高町教育委員会1988
『会下・郡家遺跡』鳥取県埋蔵文化財センター2018
備 考 『鳥取県埋蔵文化財センターのあゆみ』に調査余話あり

弥生時代の大型の掘立柱建物(人が立っているところが柱を据えた穴)

平安時代の掘立柱建物群

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