| 所在地 | 鳥取市国府町宮下 |
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| 主な時代 | 奈良時代(約1300年前) |
| 概 要 | 因幡国府跡(いなばこくふあと)の北東にある山の中腹に造られた墓で、国府のある平野を一望することができます。 墓は長さ1.4m、幅0.86mの大きな石を据えた上に銅でできた直径0.24m、高さ0.18mの骨を納める容器(骨蔵器:こつぞうき)を置き、その上に容器が納まるように穴が開けられた大きなふたとなる石をかぶせていました。 骨を納めた容器のふたには、葬られた人物に関することが書かれていました。それによると、葬られたのは鳥取県東部の有力豪族だった伊福吉部氏(いふきべし)の女性で、文武天皇(もんむてんのう)の頃に朝廷に仕えた徳足比売(とこたりひめ)で、和銅元(708)年に亡くなって火葬され、この地に墓が造られたことが記されていました。 葬られた人物の氏名や地位が分かる上にどのように葬られたかが分かる貴重なもので、墓跡は国の史跡に、骨蔵器は国の重要文化財に指定されています。 |
| 報告書 | |
| 備 考 |

骨蔵器を納めた台石と蓋石(ふたいし)