伯耆国分寺跡 ほうきこくぶんじあと

所在地 倉吉市国分寺
主な時代 奈良時代(1250年前頃)
概 要 大山から東に延びる台地の、倉吉平野を望む先端近くにあります。
昭和40年半ばから発掘調査が行われ、塔(とう)や金堂(こんどう)などの主要建物が確認されました。その後の調査で寺の範囲を区画する溝や土塁(どるい)なども確認され、東西182m、南北160mほどの大きさだったことがわかりました。
寺域の中央に金堂と講堂(こうどう)が南北に並び、南東隅に塔が配置されていたようです。塔跡から、屋根の四隅にぶら下げた風鐸(ふうたく:へんぺいな鐘)・風招(ふうしょう)が見つかっています。
建物に葺かれた瓦は伯耆国庁(こくちょう)と共通しているほか、伯耆の他の古代寺院でも共通する文様の瓦が出土していることから、伯耆国分寺の造営に国内各地の豪族が協力したと考えられます。
報告書 『伯耆国分寺跡発掘調査報告Ⅰ』倉吉市教育委員会1971
『新編倉吉市史 第一巻 古代編』新編倉吉市史編集委員会1996
備 考 国史跡

遺跡の全景(倉吉博物館提供)

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