鳥取県流行性感冒(スペイン風邪)新聞記事データベース

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内容
 資料番号1147
 発生時期大正9 ( 1920)年 1月14日
 旧郡名・旧市町村名等鳥取市
 現市町村名鳥取市
 発生区分鳥取連隊
 記事見出し連隊の悪性感冒猖獗惨状 手の足りなざりし亦其一原因乎(か)
 被害内容等鳥取連隊では最初隊内に感冒流行の兆候があると、警戒を厳しくし、一般にマスクをして、一時外出を禁止する程に注意した。従って隊内にその流行を見るや、これが防疫方法については無論周到なるものであり、しかし病毒は非常な勢いを持って蔓延し、たちまち多数の患者と少なからざる死者を出し、管内は大恐慌を来すと共に外部に甚だしい不安を抱かせ、殊に入隊兵の家族は驚愕し、今尚終熄が見えないのは一層遺憾である。しかし悪性感冒は予防の方法に於いて尚確定的なものはなく、従って的確の療法なしといえる。連隊当局に多数の手落ちがあったにせよ、その責任を問うのは酷で、隊内に流行の兆しがあった際、今少し英断的処置をしてその防疫手段に一層厳しいものがあればこのような甚だしき悲惨事を見なくてもよかったかもしれない。過ぎ去った後の欲目かも知れないが…。聞くところによれば軍医の手も看護も足りず、その為猖獗(しょうけつ)甚だしく、かつ死亡者が多かった。連隊には医者も看護婦の数も制限があり、一時に多数の患者がある場合、完全に手の行き届かないのは、その組織制度においてやむを得ない。非常の場合は手の届く非常方法を講じ、それを実行する手段を執らねばならぬ。しかもそれがなかったようである。赤十字も援助に努めていたら、甚だしい時になって漸(ようや)く看護婦10名が入れられた位のことである。医師会も相当援助すべきである。一昨年の大洪水に連隊は市の為に非常なる尽力を尽くしたのである。その為病魔に苦しんでいる連隊に大いに同情、尽力し、その手不足を助けるべきであろう。連隊の悪性感冒はいまやその絶頂を越したとはいえ、尚死亡者を続出しており、病毒の絶滅は容易ではない。
 出典因伯時報 年月日 19200114 号数 8784 記事掲載面 3
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