三朝町中津区有文書
( みささちょうなかつくゆうもんじょ:misasacyonakatsukuyumonjyo )
現在の東伯郡三朝町中津に伝えられてきた地区共有の古文書2点と、それらが収められていた箱1合である。
2点の古文書は南条元続裁許状及び南条信正等連署副状で、天正7年(1579)5月11日に南条氏が発給した一連のものである。
南条元続は、伯耆国東三郡(河村郡・久米郡・八橋郡)を治めた有力領主であり、河村郡の羽衣石(うえし)城(東伯郡湯梨浜町)を本拠とした。同じ河村郡内に位置した中津村は、羽衣石城の南東約10qのところに位置している。南条氏は、元続の父南条宗勝の時代から安芸国毛利氏に従っていたが、元続は天正7年(1579)に織田信長方へ転じて、毛利氏と敵対する。つまり本古文書は、南条氏が毛利方であった最後の時期のものである。
その内容は、「中津村」と下流の「小鹿」の間におきた「あひの谷」の用益権をめぐる山境相論を元続が裁きものである。元続は、当時の「中津村」の代表者と思われる「左衛門尉」と、中津村住人組織(「地下中(じげちゅう)」)に宛て、「中津村申し分余儀無きに依り落着候」と記して、中津村側勝訴の裁決を下している。
添状では、南条氏の重心と思われる南条信正・泉養軒長清・津村基信・鳥羽久友・山田重直の5名が連署し、裁定内容を補足している。
また、附の曲げ物の木箱には、文書の発給から間もない天正7年(1579)6月1日の日付と作者の次郎兵衛が地下中に提供した旨が墨書される。この箱と文書が当初から一具のものとは断定できないが、村の権益に関わる文書が大切に保管されてきた可能性が指摘できることは大変興味深い。
以上のように、三朝町中津区有文書は、鳥取県内では現存唯一の中世村落の共有文書であり、所有関係や村落境界の変遷にもかかわらず、2点の古文書を収めてあったと思われる箱とともに、住人組織(中津村地下中)によって連綿と受け継がれてきたことをうかがわせる原文書である。また、中世伯耆国を代表する有力領主家南条氏とその家臣の動向を示す史料としても、貴重である。
| 文化財の種別 |
有形文化財
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| 区分 |
指定
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| 指定種別 |
県指定保護文化財
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| 分類 |
県指定の古文書
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| 所在地 |
鳥取市鳥取県立博物館(寄託) |
| 指定年月日 |
令和8年6月23日 |
| 所有者等 |
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| 参考文献 |
『新鳥取県史 資料編 古代中世1古文書編上』鳥取県、2015年 |
| 参考リンク |
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| 備考 |
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