| 所在地 | 鳥取市東町、鳥取市円護寺 |
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| 主な時代 | 戦国時代~江戸時代 |
| 概 要 |
久松山(きゅうしょうざん)の山頂(標高約260m)とその麓(ふもと)に築かれたお城で戦国時代(16世紀中頃)から江戸時代にわたる長い歴史を持ち、時代ごとの様々な城郭(じょうかく)の姿を見ることができます。 最初は守護大名(しゅごだいみょう)山名(やまな)氏の出城(でじろ)でしたが、天正元(1573)年に山名氏は本拠地を湖山の天神山城(てんじんやまじょう)から鳥取城へ移転しました。 戦国時代には毛利方の吉川経家(きっかわつねいえ)城主となり、羽柴秀吉(はしばひでよし)の兵糧(ひょうろう)攻めによって、天正9(1581)年に落城(らくじょう)したことで有名です。 その後には、宮部継潤(みやべけいじゅん)が石垣や天守(てんしゅ)を築き、江戸時代に池田光政(いけだみつまさ)が整備したことで今の姿となったと考えられます。その後、岡山の池田家と国替えにより、寛永9(1632)年に池田光仲(いけだみつなか)が藩主となって以降は、鳥取池田家12代の居城(きょじょう)として明治時代まで鳥取藩の拠点となりました。 秀吉の鳥取城攻めの陣である太閤ヶ平(たいこうがなる)とともに、国の史跡に指定されています。 |
| 報告書 |
『鳥取県中世城館分布調査報告書』第1集(因幡編)鳥取県教育委員会2002 『新鳥取県史考古3 飛鳥・奈良時代以降』鳥取県2018 |
| 備 考 |
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現在の鳥取城跡(『国指定 日本百名城 鳥取城跡』鳥取市教育委員会事務局文化財課2025、鳥取市教育委員会提供)
建物解体前の鳥取城(鳥取県立公文書館所蔵)
鳥取城跡山上の丸の石垣と鳥取平野
鳥取城天守跡(久松山頂上)から望む日本海(『国指定 日本百名城 鳥取城跡』 鳥取市教育委員会事務局文化財課2025、鳥取市教育委員会提供)