丸山城跡 まるやまじょうあと

所在地 鳥取市丸山町・山城町・浜坂
主な時代 戦国時代
概 要

久松山(きゅうしょうざん)の北西に位置する標高約80mの山に、毛利(もうり)方の吉川経家(きっかわつねいえ)により鳥取城の出城(でじろ)として築かれたお城です。

山頂部には土塁(どるい)を巡らした主郭(しゅかく)が置かれ、山のふもとは旧袋川と円護寺川の合流地点として河川に囲まれており、地形を活かした守りの固いお城であったことが分かります。

このお城は、天正9(1581)年の羽柴秀吉(はしばひでよし)の鳥取城攻めの際、毛利方の重要な武器、鉄砲の弾、食料の補給基地であったと考えられます。その守りの固さから、天正9年10月に戦いに敗れた鳥取城主の吉川経家が開城するまで落城しなかったと伝えられています。

報告書 『鳥取県中世城館分布調査報告書』第1集(因幡編)鳥取県教育委員会2002
『日本城郭体系14 鳥取・島根・山口』新人物往来社1980
備 考

太閤ヶ平からみた丸山城跡遠景

空からみた丸山城跡(『鳥府志図録』鳥取県立公文書館編1994 鳥取県立公文書館所蔵・提供)

江戸時代に描かれた丸山城(「向丸山之図」『鳥府志 下ノ勇』鳥取県立公文書館所蔵・提供)

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