岩倉城跡 いわくらじょうあと

所在地 倉吉市岩倉
主な時代 戦国時代~安土桃山時代
概 要

平安時代の終わりごろから戦国時代にかけて倉吉市周辺を支配していた地元の領主、小鴨(おがも)氏が居城とした山城と伝えられています。標高247mの山頂や山すそなどに大規模な曲輪(くるわ)群がつくられています。領土を広げようと侵攻してきた戦国大名の尼子(あまご)氏や毛利(もうり)氏にたびたび攻められ、城を奪(うば)われたり、奪い返したりの激戦をくり広げましたが、天正7(1579)年に毛利氏に攻められ、天正10(1582)年に落城したと伝えられています。江戸時代に書かれた『伯耆民談記(ほうきみんだんき)』によると、この時、毛利方の吉川元春(きっかわもとはる)が打ち込んだ火矢(ひや)によってお城の建物が炎上したとされています。

報告書 『新編倉吉市史 第2巻中・近世編』倉吉市1995
『鳥取県中世城館分布調査報告書 第2集(伯耆編)』鳥取県教育委員会2004
『新鳥取県史 考古3飛鳥・奈良時代以降』鳥取県2018
備 考

岩倉城跡のある山(倉吉博物館提供)

岩倉城跡の曲輪

岩倉城跡の縄張図(『新編 倉吉市史 第2巻 中・近世編』倉吉市1995から転載)

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