| 所在地 | 東伯郡琴浦町槻下・倉坂 |
|---|---|
| 主な時代 | 鎌倉時代 |
| 概 要 |
槻下豪族館跡は、江戸時代に書かれた『伯耆民談記(ほうきみんだんき)』と『槻下神社由来記(つきのしたじんじゃゆらいき)』によると、鎌倉時代には岩野弾正坊(いわのだんじょうのぼう)の居城であったされていますが、詳しいことはわかっていません。 標高25~30mほどの平地にあり、土塁(どるい)に囲まれた主郭(しゅかく、東西約34m、南北約33m)と副郭(ふくかく、東西約14m、南北約47m)を備えた、いわゆる「方形居館」(ほうけいきょかん)と呼ばれるものです。主郭の北側に出入口があり、さらにその続きには土塁が西側に折れ曲がる桝形(ますがた)と呼ばれる防御(ぼうぎょ)施設があります。 土塁や堀が良好な状態で残されており、土塁は底の幅が8.5~11.5m、高さ2~2.5m、堀は幅7.5~9.7m、深さは最大4.3mもあります。 周辺には目立った城館等もなく、これほどの館跡がなぜ存在しているのか、城主や築造時期も含めて謎の多い館跡です。琴浦町の史跡に指定されています。 |
| 報告書 |
鳥取県教育委員会編2004『鳥取県中世城館分布調査報告書 第2集(伯耆編)』 『新鳥取県史 考古3 飛鳥・奈良時代以降』鳥取県2018 『町内遺跡発掘調査報告書 琴浦町埋蔵文化財調査報告書第12集』琴浦町教育委員会2015 |
| 備 考 |
西から撮影した槻下豪族館跡(『鳥取県中世城館分布調査報告書 第2集(伯耆編)』鳥取県教育委員会編2004から転載)
槻下豪族館跡の縄張図(『琴浦町埋蔵文化財調査報告書第12集 鳥取県東伯郡琴浦町町内遺跡発掘調査報告書』琴浦町教育委員会2015から転載)