尾高城跡 おだかじょうあと

所在地 米子市尾高
主な時代 鎌倉時代(13世紀)~江戸時代初期(17世紀)
概 要

尾高城跡は、標高45mの丘陵先端にあります。
尾高城のはじまりについてはよく分かっていませんが、鎌倉時代後半に有力な領主の住まいが建てられたことから始まったと言われています。

室町時代には四角く区画された敷地に館(やかた)が建てられて城の原型ができ、戦国時代になると堀(ほり)や土塁(どるい)が巡らされ、本丸や二の丸などが築かれて守りの固い城に整備されていきます。城主の名前が知られているのは、戦国時代に鳥取県西部地域を支配した幸松(ゆきまつ)氏からですが、有力な戦国大名であった尼子(あまご)氏や毛利(もうり)氏との闘いの果てに、尾高城は毛利氏が支配する城となりました。永禄6(1563)年に城主となった毛利方の杉原盛重(すぎはらもりしげ)が石垣をもつ城に改修してさらに守りを固め、尾高城の築城は完了します。慶長5(1600)年に最後の城主となった中村一忠(なかむらかずただ)が翌年に米子城に居城を移したのち、慶長20(1615)年に江戸幕府の命令によって尾高城は壊され、廃城となりました。
国の史跡に指定されています。

報告書 『鳥取県史 第2巻 中世』鳥取県1973
『尾高城址発掘調査概報』尾高城址発掘調査団・米子市教育委員会1975
『尾高城址』尾高城址発掘調査団・米子市教育委員会1978
『尾高城址Ⅱ』尾高城址発掘調査団・米子市教育委員会」1979
『日本城郭大系 第14巻 鳥取・島根・山口』新人物往来社1980
『図説中世城郭事典 第三巻』新人物往来社1987
『新修米子市史 第1巻 通史編 原始・古代・中世』米子市2003
『鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)』鳥取県教育委員会2004
『尾高城跡Ⅲ-山下地区の調査-』一般財団法人米子市文化財団2019
『尾高城跡Ⅳ-本丸・二の丸発掘調査報告書-』米子市教育委員会2022
備 考

空から見た尾高城跡(『国史跡 尾高城跡』鳥取県米子市2024から転載)

尾高城イメージ図(「尾高城イメージ図」『米子市ホームページ 尾高城跡が国史跡に指定されました!』米子市2023から転載)

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