手間要害跡 てまようがいあと

所在地 西伯郡南部町寺内
主な時代 戦国時代~安土桃山時代
概 要

標高334mの手間山(てまやま)山頂とそこから北側と南側へ下る尾根上に約1㎞にわたってたくさんの曲輪(くるわ)が造られている大規模な戦国時代のお城です。要害(ようがい)とは地形が険しく攻めにくい場所に築かれた城のことをいいます。城の主要部である山頂だけで連続する11カ所の曲輪が造られており、南側の尾根上に連なる曲輪には土塁(どるい)がしっかり残っています。

もとの城主は日野氏と伝えられていますが、伯耆と出雲の国境に近い位置にあるため、有力な戦国大名だった尼子(あまご)氏と毛利(もうり)氏により、この城の争奪戦がたびたび繰り広げられました。

戦国時代末期に毛利方に焼打ちされた記録があり、発掘調査で同じころの出土品が焼けた土とともに多数見つかっています。城は、安土桃山時代に毛利方によって攻め落とされたと伝わっています。

報告書 『会見町誌』会見町誌編さん企画委員会1937
『鳥取縣郷土史』鳥取県1937
『日本城郭大系 第14巻 鳥取・島根・山口』新人物往来社1980
『因伯の戦国城館-通史編-』高橋正弘1986
『会見町文化財報告書Ⅸ 手間要害発掘調査報告書Ⅱ―第2次調査―』会見町教育委員会1991
『会見町埋蔵文化財調査報告書ⅩⅤ:手間要害発掘調査報告書Ⅰ―第1次調査―』会見町教育委員会1994
『会見町誌続編』会見町1995
『鳥取県中世城館分布調査報告書 第2集(伯耆編)』鳥取県教育委員会2004
備 考

手間要害跡がある山(『山陰史跡ガイドブック第1巻 山陰の城館跡(改訂版)~攻防の跡をたずねて~』史跡整備ネットワーク会議事務局ほか2011から転載)

江戸時代に描かれた手要害跡(『因伯古城跡図誌』、鳥取県立博物館所蔵)

手間要害跡縄張図(『手間要害発掘調査報告書Ⅰ-第1次調査-』会見町教育委員会1994から転載)

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